「その時歴史が動いた・日本サッカーベルリンの奇跡」

とりあえず、テレビ見ながらメモメモ。
政治的な理由でベルリンオリンピックに送られたんですなぁ。東京五輪開催を狙ってとか、国際感覚のある国であることを示すとかいう理由で「サッカー」!しかも、半年前に早大サッカー部(!)打診があったそうで。堀江さんという方が、そこから本で独学したんかい!しかも学んだのは技術より前に「絶対にあきらめない」という心構え!おい、聞いたかい?元五輪代表の皆々様。戦術的にはショートパス多様のサッカー。ボールを人間の倍使って練習したと…。へぇ。んでもって同年に「二・二六事件」で、暗殺された人の親族がいたり、朝鮮の方が代表にいて、そっち出たら非国民だぞ、みたいなことを言われながら出場!自分が活躍できれば、世界に朝鮮の優秀さを示せるから出る!漫画みたいだな…。川本泰三さんのカッコイイ台詞「膝から下にパスをくれ。絶対に決めてみせる」とな。うぬー。ちょっと迷言じゃないかな…。というフィルムにミョーに感動。それまでヘディングすら知らない(見たこと無い)というレベルの人間を連れて行こうとするな!当時の話を知らなければ、大爆笑で終わってしまうところだ。
初戦、ベルリンチームに練習試合で 3-0 の負け。しかも各紙激辛の上、選手は超落ち込み。なるほど。2 バックが本流、というところで日本での情報が止まっていたから 20 日で 3 バックに切り替えた上、地元チームと練習試合。ここでキムさん大活躍。民族を背負ったプレーでキリッとした試合になり 2-3 の敗戦でも手応えを感じた、と。
そんでもってスウェーデン戦。当時の優勝候補だそうで 6000 人の観衆を集めたとか。なんと平均 180cm 以上という大柄な選手ばかりで、日本はしかと…。ひどいのぅ。で、なんで解説がタマキなんだよー。野球語ってればいいだろ。おそらく、とか言うな。知らないなら調べてこいや!
閑話休題。序盤から日本崩されまくり。24 分、37 分に早々と 2 失点。攻撃陣はマンツーマンマークにてこずり、全く機能せず。 DF のまとわりつきぶりを「ジョロウグモの網のようだ」と述懐(by 川本選手)。ハーフタイムにガックリする選手に監督は「上手くなってる。きっと勝てる!」と檄を飛ばす。これでモチベーション↑、プラス「いかなる場合もあきらめてはならない。結果ではなく、勝とうとする葛藤の中に喜びがある」を思い出し、ピッチへ。後半。バックス(だと思う)のキム選手大活躍。奪い返したところからショートパスをつなぎ、4 分に川本選手がゴールをゲット! 17 分、右近選手が同点ゴール!必死にこらえた後半終了間際、松永選手が川本選手のパスを角度のないところから押し込んで逆転!日本勝利!というのが顛末だったようです。すげぇなぁ…。大観衆は日本を褒め称えるために、ピッチへなだれ込んだ。そりゃそうだよなー。きっとイラクが優勝したらそうなったかもしれないなぁ。そして欧州各紙大絶賛。歴史が動きましたとさ、と。こういう話があったんですね。聞いてはいたけどこんなにすさまじい話だったとは知らなかった。いい話だー。
が。翌年、朝鮮戦争勃発。東京五輪は夢と消え、選手も出兵。逆転ゴールの松永選手、2 点目の右近選手が戦死など…。そして、川本さんの愛弟子が釜本邦茂であり、メキシコ五輪での銅メダルへとつながるんだそうです。うーむ。良い回だった…。

というわけで今日は盛りだくさんになってしもた。