ドイツへ向けて

というわけで、順番に山本監督の仕事を見てみた。途中から大きく変わっている(理論派→心情派)ように見えているが、実は、選手選考については最初から「期待優先(心情派)」だった。それは、駒野然り、平山然り、高原然り。ともすると、理論だと思っていたチームコンセプトも、自分が納得できるチームの姿が先にあって、その幻想に引きずられてしまっているのではないかとも思える(これは勘ぐり過ぎかもしれないが)。個人的にはこのパターンが最もマズイと思っている。気持ちに引きずられ過ぎると大局を見失い、冷静な判断が鈍ることが多いからだ。ただし「気持ち」は、人を強く結びつけるという大きな作用があることは間違いない。
トルシエ氏はどうだったか。こだわる選手は自分の理論に沿った軸となる選手。とことんこだわる反面、不調時の見切りが割と早く、そのための後釜は欠かさなかった。そして、復調してくれば自分が満足するまで何度でも呼んでトライし、戦術を重視するのと同じくらい、個々の強さを重んじて「闘える」選手を選んだ。いわばリスクマネージメント重視型。自分の想定以上の力は出ないが、アベレージは悪くないはず。ただ、彼のかかげたフラット 3 でのラインディフェンスという守備方法が習得困難なものだったため、その過程での大崩れはあった。
ジーコ監督はどうか。トルシエ氏と同じく軸となる選手にこだわって、怪我をしていてもわずか 5 分でも出場の可能性があれば、チームが嫌がっても連れて行こうとする。拘泥するのは山本監督に似ているが、あるところで線引きをするようになったらしく、引き下がって他の選手を呼ぶフェイズに移行するのが早くなったように感じる。もともと戦術面で徹底することが無いようで、主に闘うことを要求する。行き当たりばったりなようだが、個の能力を重んじるので、最悪、個々が闘えるならばそれぞれの能力に見合った結果が、スムースにかみ合えば非常に強力なチームとなっていい結果が出る可能性が高い。
三者三様なのはもちろん、誰が正しいとはいえない。だが、これだけサンプルが揃ってきたのだから、日本の台所事情と世界レベルとサッカーの流れを踏まえれば、ドイツ行きのプランは割とはっきり見えてくるような気がする。