ジーコについて

その理想は非常に高く、実現されればとても強い集団ができたのかもしれないが、結局、日本人に「自主性」を期待するには時期尚早だったということかもしれない。その方針を歓迎しつつ、意味を理解し、実行できていた選手はほとんどいなかったのが、その証拠だ。もし、全員が実践できているのであれば、初戦の負け方は無い。ああいった考えの無い戦い方も無い。それまで経験がないことをやるのは、難しいところがある。頭ではわかっていても、刷り込まれているものではないので、いつもやるというには限界がある。そのために組織戦術の整備が必要なのに、最後までジーコが動くことは無かった。動いたのかもしれないが、その効果は見られなかった。そして、炎天下での試合に対する遅すぎる抗議と無策。自分が経験した86年のメキシコも暑かったはずだ。こういった細かなところを見ると、トルシエを持ち上げる気は全く無いが、ジーコは全てにおいて「準備」というものがあまり見えてこない監督だったように思う。かといって、選手起用(先発、交代、選抜のためのテストも含め)が上手いわけでもなく。1つ、すごく参考になったことと言えば、加地を見出したときの我慢強さ。そう、ジーコの不幸は、選手全員が加地でなかったことかもしれない。正直、召集され始めの頃の加地は、全く足りてなかった。前所属のFC東京では、1つ下の世代の徳永にレギュラーを譲っていたこともあった。しかし、呼ばれ、使われ続ける中で、加地はめきめきと力をつけ、いつの間にか、バックアップが居ないかもしれないと心配されるほどの、日本を代表するサイドバックになった。おそらく、ジーコはこういうのを期待していたのだと思う。全ての選手に。しかし、加地の他の「加地」は、数人しかいなかった。もし、ジーコが監督業を続け、多くの日本人が海外のクラブでレギュラーとしてクラスで活躍するような時代になったら、第2次ジーコ政権の意味があるかもしれない。本大会には行けたが、準備の足りない、戦略の無い今の日本では、世界の壁を越えることは難しかった。そういう意味では、ジーコを非難する気は無い。単に、不幸なタイミングだったのかもしれない。
この後、誰が代表を引き継ぐかわからないが、トルシエ時代からの遺産と、ジーコの残した問題点を加味し、若い世代を積極登用して、新たな代表を作れる人であることを期待したい。