理論に終始した割に、理論的ではない起用

本大会、山本監督の選手選抜とその起用は「期待先行」だったような気がする。手の内を隠していたわけではなく、チームのメンバーにすら奇策となって見える布陣。第 1 戦目の小野の位置は、フィッティング不十分のまま「期待」だけで出したといわれても仕方無い。結果としてもう 1 列下げた後半の方が機能していたのだから。第 2 戦目は駒野。少なくとも、駒野を使ったときは、サイドハーフであり、あくまでも流れの中でのスクランブル状態でサイドバックとなることがあった、という程度のはず。「サイドが弱いから」という理屈と、駒野に「期待しているものの大きさ」だけでサイドバック起用。
両方に共通するのは「能力の高い選手は複数のポジションを『こなす』」ということに拘泥した結果、「こなす」というところを履き違えたこと。「こなせる」は専門職に使う言葉ではない。つまり、応急処置以外の何物でもない。小野はもはや、フェイエノールトで深い位置からのチャンスメーカーとしての時間が長く、駒野は守備「も」できるサイドアタッカーというのが本来の姿。 100% 力を発揮できるポジションと 80% しか力を出せないポジションで無理に使うのと、どちらが良いかは考えるべくもない。チームコンセプトが、様々なデータの蓄積によって組み上げられたのと対照的に、選手起用は「思い入れ」という、非常に個人的な部分による選抜と起用。危機管理能力の欠如と言われても仕方無いような、高原へのこだわりを見ても分かる。特にあの場面、理屈から言えば「 All or Nothing 」という博打をしていたのと変わりない。裏か表か。では、危険ではない賭けというのは何かというと、少なくとも選抜の時点で体調的に問題ない戦力を次候補として考えておくべきだったと思う。かわいい教え子なのはわかるが、 OA 枠という大事なカードの選抜で危険な賭けをして負けた時点で、少しはドライな視点に戻っても良かったのではないかと思うのだが。